経営コンサルタント&東大文学部出身者として選ぶ、2024年に読んだ本の私的トップ5

2024年に入ってから113冊の本を読みました。
最初から最後まで読み通した本だけをカウントしていて、部分的に参照した本は含めていません(ただし、カウントした中には、一部を読み飛ばしたものも多少含まれています)。
まだ今年は3日残っているので、年間では114冊か115冊になると思います。
その中で、とくに印象に残り、他のかたにもお勧めできると感じたものを5冊選びます。
(なお、必ずしも2024年に発行された本だけではありません。)

橘玲『テクノ・リバタリアン』

「リバタリアニズム」という哲学の概念を「テクノ」つまり昨今の情報技術と結びつけ、それによってビジネスの世界を、ひいては現代社会を説明しようとする野心的な著作。
橘玲の作品はほとんど読んでいますが、本書はその中でもとくに説明の切り口が斬新でしかも説得力に富むと感じさせるものでした。

私自身はあまりリバタリアンだという自己認識はなく、学生時代にリバタリアンを自称する先輩を見てどうしてそんなに自由にこだわるのかと不思議に思ったことをよく覚えています。
本書を読んでみると、自分もリバタリアンだなと感じましたし、世の中には、自覚の有無はさておき、無数のリバタリアンがいるのだろうと思うようにもなりました。

個人にとって、現代社会の何がどう問題なのか。
この問いに対する、独特の視座からの鋭い回答をえられます。

杉本貴司『ユニクロ』

一介の洋品店を世界有数のアパレルブランドに化けさせた、柳井正の伝記。
もちろん、本書のタイトルが『ユニクロ』であるように、同社を取り巻く重要人物たちも本書には多数登場します。
しかし、ある者は成功し、またある者はユニクロを去るという決断をする、そのきっかけには常に柳井正という得体のしれない人物がいて、柳井によって感化され、触発されていったという点で、これは柳井正の伝記であると思います。

本書は、ビジネスを成功させるうえでの柳井の考え方や判断といった、経営改善のための本として読むことができます。
それと同時に、野心をもったたぐいまれな人物が人々をどのように動かしていくのかという、ビジネスの根本にある心理の本としても読めます。
経営者とは、人とは、自分とは、どのようなものであるべきかについて考えられる良書だと思いました。

岩尾俊兵『世界は経営でできている』

経営の観念を「目的」や「幸福」や「価値」といった概念と絡めて拡張し、経営をビジネスだけでなく人生のさまざまな場面において生きるものに仕立て上げようとする一冊。

本書には様々なメッセージが含まれていますが、とくに、経営は価値を生み出すべきだ、というメッセージは経営をより魅力的なものにすると思います。
一般に、価値は有限であると考えられています。
たとえば市場が有限だとすると、企業はその限られた市場を巡って争うことになります。
経営において「戦略」とか「戦術」といった言葉が使われるのも、そうした発想から来ているのでしょう。
戦いには勝者と敗者がいて、全員が幸せになることはありません。
しかし、著者が主張するように経営が新たな価値を生み出すことができるとしたら、つまり、価値の総量を増すことができるとしたら、もしかしたら全員が幸せになるような道筋を見つけられるかもしれません。

経営の観念を拡張し、ビジネスを、そして日々をより豊かにするための、ヒントにあふれた一冊です。

九段理江『東京都同情塔』

芥川賞受賞作としてだけでなく、生成AIの助けを借りて書かれた小説として、話題になりました。
生成AIを使ったということについてはさまざまな意見があるかもしれませんが、私はこの作品を楽しみました。

主人公は優秀な建築家で、ザハ・ハディッドが設計した東京のオリンピックスタジアムが建設された、現実とは異なる世界線の東京において、東京都同情塔という刑務所を建設します。
ストーリー自体はここではとくに論じませんが、建築という物質的・映像的なアートにかかわる主人公が、言葉にこだわり、言葉と建築をいわば同時に設計するような仕方で思考している様子が大変興味深く思いました。
およそ、あらゆる学問や仕事は、幸福を目的とするはずです。
建築も、人間の幸福に資するためのもの。
そして人間の幸福に資するためには、言葉によって論理をつくらなければならない。

本書には以下のような文章がありました――「ひとつ。言葉は、他者と自分を幸福にするためにのみ、使用しなければなりません。」「ひとつ。他者も自分も幸福にしない言葉は、すべて忘れなければなりません。」
こうした作品が生成AIの助けを借りてつくられたということを受けて、生成AIに対する希望を感じずにはいられません。

伊藤計劃『虐殺器官』

私はSFをあまり読みませんが、近年(と言ってももう10年以上前の作品にはなりますが)最高のSF作品と名高い本書のことは気にかかっていました。
しばらく前に購入したままになっていたのを、今年になってようやく読みました。

そのきっかけは、身近な人の死――義理の母の死――でした。
著者の伊藤計劃は、ご存じのかたも多いかとは思いますが、癌に侵されながら、死の直前の短い期間に優れたSFを書いた作家です。
その伊藤計劃のデビュー作であり、また、書名も示唆するように人の死を前面から扱ったこの作品がどのようなものなのか、知りたく思ったのです。
(ただし、本書への私の感想は、上記の事情とはあまりかかわりはありません。)

本書は、主人公が多数の人を――子どもも含め――殺戮していくという点で、死という重たいテーマを非常に軽く扱っています。
その一方で、主人公は自身の行いを内省します。
とくに、脳死状態となった母の生命維持装置を止めるという判断について、大いに悩みます。
その内省は、当然ですが言語によってなされます。
この作品の主題は「死」であると同時に「言葉」でもあります。
死を眼前に見据えた作家の作品として、唯一無二の作品です。

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