昨日の記事で「メタファー」という言葉を用いました。
メタファーについて考えるうえで、佐藤信夫の『レトリック認識』をはじめとする一連の著書は大変意義深いものです。
佐藤はメタファーなどのレトリック(修辞技法)が、ものごとをより正確に伝えるためのものだと論じます。
これは意外な感じがします。
たとえば比喩は、ものごとを別の何かになぞらえて表現するもの。
ものごとを正確に伝えようとすると、ふつうはありのままに表現しようと考えるものです。
別のものにたとえる比喩という表現は、ありのままの表現とは対極にあるような感じがします。
ところが、です。
目の前にある、何かしら普通ではないもの、どうしても他者に伝えたいと思うものをありのままに表現しようとすると、困難に直面にします。
それは普通ではないものですから、普通の言葉で伝えようとしても、うまくいかないかもしれません。
数字など、客観的な指標で表せるものならいいでしょう。
たとえば巨大な蛇を見たとき、「3メートルの蛇がいた」と言えば、その異常さは聞く人に共有されると思います。
しかし、そうはいかない場面も多いでしょう。
今朝の「虎に翼」に、主人公寅子の父親が、一年以上にわたる裁判の末、無罪の判決を受ける場面がありました。
このときの寅子の心情を直接に表現する言葉はあるでしょうか?
うれしい? 喜び? 安堵?
それでは足りない気がする。
ここでたとえば「天にも昇る心地」と言ったら、それは比喩です。
実際に天に昇るのがどんな心地なのかを体験した人はいないですが、それがどんな心地なのか、なんとなく想像できる。
この表現のほうが、ただうれしいと言うよりも、直接的ではないかもしれませんが正確です。
普通ではない経験を直接に表現できなければ、普通ではないものになぞらえなければいけないのです。
このように、普通ではないものを表現するための手段として比喩をとらえるとき、比喩が発想の手段として有益である理由の一端が理解できます。
別の何かになぞらえるということは、普通でないものを表現するための手段。
そうであれば、無理やり比喩を用いることで、普通でないもの、つまり、それまで世の中に存在していない(かもしれない)ものを発想するチャンスが生まれるのです。
レトリックの本は、プレゼンテーションの場面以外では、あまり経営で活用されないかもしれません。
しかし――あるいは、だからこそ――経営の手段として、学んでみてはいかがでしょうか。