なぜ人事評価制度を導入するのか?
人事評価制度の導入は、多くの企業が組織の成長とともに直面する課題です。
組織が大きくなればなるほど、従業員の能力や業績を適切に評価し、それに基づいて報酬や昇進を決定する必要性が高まります。
しかし、制度の導入にはリスクが伴います。
評価制度が適切でないと、従業員のモチベーションが低下し、不満が募ることがあります。
人事評価制度導入のリスク
複雑な制度は絶対にうまくいかない
制度が複雑すぎると、人事部の担当者でさえ正確に説明できなくなることがあります。人事部が説明できないのに上司が正しく評価できるわけがないですし、そうしてなされた評価に対して評価される側が納得するはずもありません。これにより、従業員に対して公平な評価が難しくなり、不満が生じます。
「納得のいく評価」はそもそも不可能
評価制度の目的が従業員の不満を解消することであっても、逆に不満が増す場合があります。
これは、人の心理に根差す根本的な問題です。
人は一般的に自己評価が高いため、客観的な評価と主観的な認識とのギャップが生じるためです。
学術的な研究では、たとえば知能テストの成績が低い人ほど自己評価が高く、成績がよい人は自己評価が正確か、むしろ低い傾向があることが示されています(参考:榎本博明『「指示通り」ができない人たち』)。
自己評価と客観的な評価が一致しない以上、多くの人にとって、納得のいく評価というものが原理的にありえないわけです。
どのように評価するか?
評価の軸は多様であるべき
それではどうすればよいのでしょうか。
私は、学校のテストのように一つの軸の点数で人を評価するというシステム自体を疑問視するべきだと思います。
多様性の大切さが認識されてきていますが、組織は多様な人材がそれぞれ異なった強みをもつことによってよりよく機能するものです。そうであれば、一つの軸で異なる強みをもつ人々を評価することには無理があります。
前提として、評価の軸は多様であるべきです。
美術は得意だけれど数学は苦手だという生徒は、無理して数学の能力を高めようとするよりは、美術を伸ばして将来デザイナーなどとして活躍するほうがよほど満足度が高い人生を送れるのではないかと思います。
組織の中でも、細かい作業が得意で効率よく製品をつくっていく人がいれば、相手の気持ちを理解し共感してコミュニケーションを深める能力に長けて顧客満足を高める人もいるといった形で、全体としてうまく機能するのが理想でしょう。
この前者と後者を比較して、どちらのほうがすぐれていると議論することは、組織運営の足かせにしかなりません。
給与という評価を解体する
しかし、評価の多様化には強力な敵がいます。
給与です。
給与は評価の結果だと思われるかもしれませんが、多様な軸で評価をした結果として給与という一つの軸に落ち着くようであれば、一つの軸で評価しているのと変わりません。
しかも、給与は生活に直結するものであるだけに、評価される側に与える影響は深刻です。
「結局は給与という一軸の評価になってしまう」という事態を回避するには、給与に差をつけること自体をやめなければいけません。
そして、私は多くの組織にとってこの方針が正解だと考えています。
給与に差をつけない場合は、「頑張って成果を上げている人に適切に報いることができないではないか」という反論がありえます。これは確かにその通りです。
しかし多数のメリットとデメリットを比較すると、給与に差をつけないほうが、差をつけることよりも有益だと考えます。
これについてはまた改めて書きたいと思います。
人事評価制度を導入して、不満をなくし、組織の雰囲気を改善し、従業員のモチベーションを高める。
この目論見は幻想に終わることがほとんどです。
取り返しがつかなくなる前に、一歩立ち止まって、本当にその人事評価制度を導入するべきかどうかを考えてみてください。