最近、ある場所でお話しした内容が意外に関心をもってもらえたので、ここに書いてみたいと思います。
「人事制度の根本には倫理学的な主義があるべきだ」という考えについてです。
規範倫理学の3つの理論
倫理学には大きく分けて3つの階層があります。
「メタ倫理学」「規範倫理学」「応用倫理学」の3つです。
応用倫理学とは、その名の通り、倫理的な理論を現実の問題に適用し、より良い判断や行動を促すための学問です。
その基礎となるのが「規範倫理学」です。
メタ倫理学というのは、「善」というものには実体があるのかそれとも架空のものなのか…といったような、より抽象的なレベルで倫理を考えるものです。
今回は、応用の基礎となる「規範倫理学」を話題にします。
規範倫理学には、主に3つの理論があります。
「徳倫理学」「義務論」「功利主義」です。
これらの理論はそれぞれ、「何を良いとするか」という判断基準が異なっています。
まず「徳倫理学」は、アリストテレスなどの古代ギリシャの思想に基づくもので、善悪の判断を人格に求める考え方です。
行為そのものよりも、それを行う人の人格が優れているかどうかが重要であり、良い人格を養うことが目指されます。
「義務論」は、行為の結果よりも内容に重きを置く理論です。
「嘘をつく」という行為について考えてみましょう。
嘘は基本的には悪いとされていますが、相手のためを思ってつく嘘もあります。
例えば、「おへそを出していると雷神様におへそをとられる」という明確な嘘は、子どもが腹部を冷やさないようにするための配慮でしょう。
義務論的な考え方をとり、さらに、嘘をつくこと自体が悪であると見なすとしたら、たとえよい結果をもたらしたとしても嘘をつくという行為は悪とされます。
「功利主義」は、行為の結果に注目し、よい結果をもたらせばよい行い、悪い結果であれば悪い行いと判断します。
基本的には幸福や快楽を増やすことが善とされ、逆にこれらを減らすことが悪と考えられます。
人事制度の3つの主義
さて、ここからは人事制度についての話です。
人事制度にもいくつかの主義がありますが、代表的なものとして「能力主義」「役割主義」「成果主義」が挙げられます。
「能力主義」は、顕在的・潜在的な能力を重視して評価を行う考え方です。
高い能力をもっている人には高い評価を与えようというのは、分かりやすい発想です。
しかし、能力主義には、能力が客観的に測りにくいという問題があります。
たとえば、大谷翔平が素晴らしいバッターであることに異論を唱える人はほとんどいないと思います。
しかし、大谷翔平のことを知らない人がたまたま野球の試合を見て、そしてその試合で大谷がたまたま5打数0安打だったら、その人は大谷のことを大したバッターだとは思わないでしょう。
すぐれた人でも、何かしらの悪条件によって成果を残せないことはありえます。
だからこそ、そうした運による要素を取り除いて、純粋に能力だけを評価するのが公平だという考えになるわけですが、これは極めて難しいことです。
野球ならたくさんの試合をこなし、明確な評価基準(ルール)があるので、まだ能力の評価はしやすいです。
しかし、ビジネスとなると、いったいどこまでが運でどこまでが実力なのか、そもそも何をもって評価すべき能力とするのかなど、ややこしい問題が多数発生します。
そこで能力主義的な評価を分かりやすく実現するのが、意外に思われるかもしれませんが、年功序列です。
長く勤務するほど業務に関する経験が増え、能力が高まると考えられます。
だから、本当の能力というのはよく見えないけれど、とりあえず長く勤めている人は能力があるはずだからと、年功序列の評価をすることになります。
「役割主義」は、その人がどんな仕事をしているかによって評価を行います。
最近日本でも増えてきましたが、職務記述書で仕事内容を定義し、職務に必要な能力や水準を設定する、欧米式のやり方が典型です。
ここではポテンシャルや実績にかかわらず、与えられた役割を正確にこなしていることが評価基準となります。
職務記述書に書かれている仕事を正確にこなしていたら、そこに書いてある給与などの待遇をえられます。
もし職務記述書の内容を満たすことができなければ、場合によっては降給や降格などが行われるかもしれません。
「成果主義」は、業績によって評価を行う考え方です。
分かりやすいのは営業職です。
営業職であれば売上額や新規顧客の獲得数など、成果が数値として表れるため、評価基準をある程度明確化できます。
成果主義の場合は手段にはこだわりがなく、(法に触れるなどのことがなければ)基本的にどのような手段で成果を達成しても評価されるのが特徴です。
倫理学の理論と人事制度の主義の対応関係
さて、ここまで倫理学の基本的な理論と人事制度の主義について論じてきましたが、これらに対応関係があることにお気づきでしょうか。
能力主義は「徳倫理学」、役割主義は「義務論」、成果主義は「功利主義」と親和性があると考えられます。
これは考えてみると自然なことです。
倫理学というのは、「善悪」に関する学問です。
人事制度は、企業にとっての「善悪」を規定するものです。
両者とも善悪にかかわるのであれば、その根幹の思想のバリエーションが似通ったものになるのは自然の成り行きです。
ここからがポイントですが、倫理学の世界においては主義の違いが明確に意識されるのに対し、人事制度においてはその根本にある思想があまり意識されていません。
倫理学の世界では、ある問題に対しては義務論の立場をとるのに、ある別の問題に対しては功利主義の立場をとる、といったような一貫性のない理論家は相手にされません。
しかし、人事制度においては、能力主義・役割主義・成果主義が混在していることがしばしばあります。
たとえば、基本的には年功序列なのに、職務記述書でも給与水準が定められていて、しかも業績によってもまた評価される…といった組織は、少なくないと思います。
これでは、何によって評価がなされるのか、もっと言えば、その組織が根本的に何を大事にしているのかが、分かりません。
私が以前勤務していた会社でも、能力主義、役割主義、成果主義の良い点を組み合わせた人事制度を導入しようとしましたが、制度が複雑になるばかりで、モチベーションや業績向上に結びついたとは言い難い結果でした。
人事制度は組織の根幹です。
どの主義を採用するかは事業の目的や組織の風土に合わせて適切に選択し、統一性のある仕組みづくりを行っていただきたいと思います。