逆算とは?
「逆算」で考えることが大事だと、よく言われます。
たとえばマラソンを走りたいなら、とりあえず目標タイムを決める。
目標タイムを決めたら、その目標タイムを42.195で割って、1kmあたり何秒で走らなければならないのかを考える。
そのタイム以内で走れるかどうかを試しながら、少しずつ距離を延ばしたり、スピードを上げたりしてみる。
あるいは、マラソン本番にどのようなものをもっていくべきか、チェックリストをつくる。
そのために、どのようなものがあるとよいのか、ネットや本で調べてみる。
何が必要かが分かったら、それらがどこでどのように手に入るのかを調べる。
そして必要な日までに手元に届くように、スポーツショップの実店舗なりネットショップなりで購入する。
このように、ゴールを設定して、そのゴールを達成するために必要な条件をあぶりだす。
そしたら、それらの条件を満たすための、さらに一歩手前の条件をあぶりだす。
これを繰り返して、目標達成に必要な条件を網羅し、それらを満たしていくための行動を起こす。
これは極めてあたりまえのことに思えますが、実際にはなかなか実践するのが難しいことです。
逆算はなぜ難しいのか
逆算から考えることの難しさには、大きく三つあります。
第一に、ゴールを適切に設定することの難しさ。
たとえば「売上を増やそう!」というあいまいな目標が掲げられても、「具体的にいくら増やせばいいのかと気になります。
仮に「売上を100万円増やそう!」という具体的な目標があったとしても、「なんで100万円なのですか?」とか「売上を100万円増やしたらどんないいことがあるのですか?」といった質問に即答できるとは限りません。
自身が定めた目標でも納得するのはなかなか難しいですし、まして組織として設定した目標に誰からもツッコミが入らないということはなかなかないでしょう。
第二に、ゴールに至る道のりを正しく設定することの難しさ。
売上を100万円増やそうとしても、どうやったら増やせるのかが分からなければ行動に移すことが難しいです。
ゴールに到達した状態はどうなっているか、その一歩前はどうなっているか、さらにその一歩前はどうなっているか……と深く考えていくことには、実はかなりの知的体力が必要になります。
第三に、逆算することを習慣にすることの難しさ。
たとえば、「あなたの人生の目的は何ですか?」と問われて即答できる人は少ないでしょう。
こんなに大きな問いでなくとも、ふだんの行動の一つひとつには、目的を問われても困ってしまうものがあるのではないでしょうか。
ふだんから目的を意識しながら判断したり行動したりすることは、慣れていない人にとってはかなり難しいことです。
このうちどれが一番難しいかは人の得意不得意によるところが大きく、私自身は第一のポイントが難しいと感じるのですが、私が見る限りは第二のポイント、つまり道のりを設定することを苦手にする人が多いようです。
第三の習慣にすることの難しさは、上の二つのポイントをクリアしていれば、多少の努力で乗り越えられるものです。
逆算に必要な論理の力
それでは、ゴールに至る道のりを正しく設定するにはどうすればいいか。
道のりを設定することの巧拙は、論理(ロジック)をどれだけ正しく使いこなせるかによっておおよそ決まると思います。
論理とは、たとえば
AはBである
BはCである
したがって、AはCである
のように、ものとものとの関係を表す文を適切につないでいくことです。
上記のパターンのもっとも有名な例は、
ソクラテスは人間である
人間は死ぬ
したがって、ソクラテスは死ぬ
というものだと思います。
ソクラテスが人間で、そして人間が必ず死ぬものなら、人間であるソクラテスもいつか死ぬはず。
とてもあたりまえのことですが、世の中の文章の多くはもっと複雑な構造をしています。
そして、論理的でないこともしばしばあります。
ゴールを見据えてそこに至るための論理をつくるというのは、実は数学の証明問題ですべての中学生・高校生が学ぶことです。
世の中の複雑な事象をいきなり論理的に語ることはできないから、原則やシンプルな事例から学んでいくことが望ましい。
中学校で証明の問題を解くのは、そのためのステップだと思っています。
ときどき「数学なんて実社会では使わないから意味がない」という極論をいう人がいます。
たしかに、大学の数学科で研究されているような数学は、簡単に応用ができないものが多いのではないかと思います(私にはよく理解できないので勝手な想像ですが)。
しかし、大学教養課程くらいまでの数学は違うと思います。
とくに中学校や高校で学ぶ数学の証明は、現実にはなかなか見当たらないくらいにシンプルな論理を取り扱っています。
この意味では、先ほどの批判は的を射ているかもしれません。
中学校や高校の数学は簡単すぎて、それだけではあまり社会の役に立たない。
もし中学校や高校の数学の証明問題が難しいと感じたなら、論理学を少し学んで、現実の複雑な論理に多少なりとも太刀打ちできるだけの力を蓄えることをお勧めします。
論理学の入り口となる参考書
どのような経緯だったかは忘れましたが、私は高校1年生くらいのときに慶応技術大学出版会の『論理学』という本を手に入れて論理学を学びました。
大学生用の教科書でしょうが、初学者にも分かりやすく丁寧に書かれていました。
いまはもう手に入らないようで残念です。
https://www.keio-up.co.jp/np/isbn/4766401999/
いくつか、参考書を紹介します。
論理学を知る前と後とでは、世の中の見え方が少し変わるかもしれません。
少なくとも、文章の作成の仕方は変わると思います。
野谷茂樹『論理トレーニング』
論理を学ぶとなったときの定番の参考書。
大学の教科書としても使用されているものですが、明快に書かれていて分かりやすいので臆することはありません。
論理「学」の内容はあまりありませんが、日常的に目にする文章が取り扱われているため、数式がどうしても苦手だというかたにも取り組みやすいと思います。
長岡亮介『論理学で学ぶ数学』
昔からありそうで実際にはなかった、高校生向けの論理学の参考書です。
数学をもっと根本のところから学びたいといったニーズに応えるためのものなのかなと思います。
レベル表示では「Max(東大・京大レベルに対応)」と書かれていますが、これはおそらく論理学が大学入試の問題に出されることがないからで、東大や京大に挑戦するような人でないと理解できないということではありません。
記号論理学が初学者にも分かりやすく説明されていて、お勧めです。
三浦俊彦『論理パラドクス』
論理についてクイズ形式で学ぶことのできる一冊。
堅苦しい教科書は読みたくないという人も、本書は楽しく読めるかもしれません。
実践形式で学びたいというかた、気楽に学びたいというかたはまず本書を手に取ってみるとよいでしょう。