ChatGPTは学習の機会均等に貢献する救世主――ただし、活用しようとするならば

最近参加したある会合で、経営コンサルタントにとってChatGPTは脅威だという議論がなされました。
たとえば、補助金の申請のようにフォーマットが決まっていて、求められるアウトプットがはっきりしている分野は、ChatGPTの得意領域であるため、コンサルタントの出番が減少するのではないかという話です。

よく言われる話ですが、あらゆる外部環境は、人によっては機会であり、人によっては脅威となります。
一概に誰にとっても機会であるとか、誰にとっても脅威である、ということは滅多にないでしょう。

ChatGPTに関しても、これを使いこなして、それを元に事業を立ち上げるような人にとっては大きな機会でしょうし、使いこなせない人や使ったことがない人にとっては大きな脅威です。

それでは、平均的にはChatGPTが機会なのか脅威なのかといえば、私としては機会だと思っています。
というのは、ChatGPTは学ぶ機会の公平さに、これまでのあらゆる発明よりも大きな貢献をする可能性があると考えるからです。
最低限の読み書き能力さえあればChatGPTを使うことができます。
ChatGPTは、ときに誤った情報をアウトプットするとは言え、世の中のほぼすべての教師よりも物知りです。
しかも、24時間いつでも瞬時に回答をくれます。
必要なのは電気代とネット環境くらいで、ChatGPTを使えば、学習のコストが大幅に下がります。

たとえば、中学や高校に行かず、ChatGPTを教師として学習して難関高校や難関大学に合格することは、決して不可能ではないと思います。
親の年収と子どもの学力が相関する(親の年収が一番高いのは東大生)といったことはよく言われますが、ChatGPTはこの相関を崩すための有力な武器になります。
不利な環境にある人ほど、ChatGPTなどの生成AIを使いこなすことの意義は大きいと思います。

AIが人類にとって大きな脅威になりえるという議論はあります。
確かに、AIの発展の方向や使い方を間違えればそうなるかもしれません。
しかし、少なくともChatGPTのレベルの生成AIに関しては、人類にとっての直接の脅威とはなりえず、恩恵の方がはるかに大きいはずです。

私個人にとってChatGPTは機会か脅威かといえば、これも明らかに機会となっています。
ChatGPTを導入するためのコンサルティングや研修を行っている、といった経済的な面はとるに足りないことです。
それ以上に、ChatGPTを使うことによって、仕事や日常におけるいくつかの大きな悩みや煩わしさから解放されたと感じています。
靴や眼鏡のように、ChatGPTは自身の機能を拡張する重要な体の延長だというような感覚です。

ChatGPTが登場した、という事実からは逃げられません。
これを脅威としないためには、ChatGPTを避けるのではなく、むしろ徹底的に使いこなす必要があります。
まだChatGPTを使っていないようでしたら、それによる変化の意味を理解するために、すぐにでも試してみてください。

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