木の一本一本の役割は森を見なければわからない:「個」を理解するために「全体」を見る

アウトライナー(私の場合、WorkFlowy)には、入力できるものであれば、できる限り生活のすべてについて情報を記録しています。
仕事の計画やタスクはもちろん、プライベートの予定や、読んだ本の記録など、すべてをです。
そうすると、自分がいま取り組んでいることが、人生の中でどのように位置づけられるのか、どのような意味をもつのかを意識することができます。

たとえば、ある農業経営者から、財務分析の依頼を受けたとします。
アウトライナーには、仕事のノードの中の、経営相談のノードの中に、プロジェクト一覧がある。
そこに、その業務を追加します。
すると、それ以外のプロジェクトも同時に目に入ってくる。
今抱えているプロジェクトの中で、そのプロジェクトがどのように位置づけられるのかを意識できます。
さらに、経営相談のノードと同列に、そのほかの事業も見えます。
農業経営者から経営相談を受けるという事業のもつ意味が、それ以外の事業と比較する形で浮かび上がってくる。

さらに、仕事のノードと同列に、日々の記録とか、インプットとか、将来の計画についてのノードも目に入ってきます。
人生の全体の中に位置づけられることで、その仕事が私の人生の中でどのような意味をもつのかを考えるきっかけになるのです。

細部を理解するためには、それが全体の中でどのような意味をもつのかを考えなければなりません。
逆に言えば、細部の意味は、より大きなものの中に位置づけられてはじめて生まれるものです。

新しいことを学ぶ上でも、全体の中での意味づけは大事です。
たとえば、中学校の理科を思い出してみてください。
私は中学一年生の最初の理科の授業として、ツツジの花を分解し観察するという経験をしました。
それから、たとえば炭酸水素ナトリウムを加熱したりとか、太陽と地球と月の位置関係から月がどのように見えるかとか、動滑車を使えば小さい力でものを持ち上げることができる、といったことを学んでいきます。

このそれぞれを学んでいるとき、私はなぜそれを学ばねばならないのかと、不満でした。
少し前まで花の分解をしていたのに、気が付くと実験室で薬品を混ぜ合わせている。
そこに何の関連があるのか分かりませんでした。

受験勉強の功罪はいろいろと言われますが、私にとって受験勉強がよかったと思うのは、花の分解と薬品の混合には大した関連はない、ということを知れたことです。
受験の参考書には、理科という科目が大きく生物学と化学と地学と物理学に分けられていました。
教科書ももちろん同じように分類されていたのですが、中学一年生の教科書には中学一年生で学ぶ科目しか記載されていません。
中学校で学ぶ理科は大きく生物学と化学と地学と物理学に分けられる。
花の分解という生物学と、薬品の混合という化学には、同じ理科という枠組みの中でも直接の関係はない。

こうした見取り図をもつだけでも、自身が学んでいることの意味づけには大いに役立ちます。
「何のためにやっているのか」と疑問をもったら、一歩引いて、全体を眺めてみてください。

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