ChatGPTの文章作成能力は?
私は毎日のようにChatGPTを使用しています。
以前も書いたことがありますが、この文章も音声入力した、句読点のない、漢字変換の間違いもあるような文章をChatGPTに入力し、きれいな表記に変換してもらっています。
一般に、ChatGPTの利用頻度が高いのは、メールや報告書、あるいは学校の宿題の作文のような文章作成の場面でしょう。
私自身はChatGPTが生成する文章の評価を60点くらいだと思っています。
50点の文章を書ければよいのであれば、ChatGPTを使って手早く済ませてしまえばいい。
しかし、80点や90点の文章を書こうと思ったら、ChatGPTでは太刀打ちができません。
たとえば、「たたき台となるような文章をChatGPTに生成してもらい、それを修正する」といった手順で文章をつくる場合もありますが、「最初から自分で文章を書いた方が早かっただろう」と思うことが少なくありません。
少なくとも、音声入力とChatGPTによる文章の整形という組み合わせの方が、文章自体をChatGPTに生成してもらうよりも、はるかに効率がよいと感じます。
ただし、ここには「私がChatGPTの文章を60点だと評価している」という前提があります。
どういうことかと言うと、まずChatGPTのアウトプットをよいものにするためには、使う人の文章作成能力が高くなければならないということ。
もう一つは、ChatGPTが生成する文章の出来栄えの評価は、評価する人の文章作成能力に依存するということ。
こうした文章作成能力とChatGPTによる文章作成について、以下で説明していきます。
ChatGPTに文章を生成してもらうための文章作成能力
まずは前者から。
生成AIがよりよいアウトプットをしてくれるように、命令する文章を工夫し練り上げていくことを「プロンプトエンジニアリング」と言います。
プロンプトエンジニアリングは、そもそもある程度の文章作成能力がなければ不可能です。
生成AIがどのような文章をどのように理解するのかということを考え、それにふさわしい文章をプロンプトとして作成するということができなければ、ChatGPTは期待するアウトプットを出してくれません。
そのためのテクニックとして様々なことが書籍なりインターネット上の記事なりに書かれています。
こうしたテクニックは大変役に立ちます。
しかし、たとえば「主語や目的語を明確に書く」ということができなければよい指示はできません。
主語や目的語をきちんと書くためには、そもそも「主語や目的語とはどのようなものなのか」という言語の理解が必要になります。
こうした基礎的な教養としての文章作成能力を欠いている状態でプロンプトエンジニアリングを行おうとしても、期待したアウトプットは得られず、「ChatGPTは使えない」という結論になってしまうでしょう。
ChatGPTの文章を評価するための文章作成能力
ChatGPTの文章の評価をするにも文章作成能力が必要だ、という後者のポイントも大変重要です。
ChatGPTの登場直後に、学生のレポートの出来があまりによいことを不審に思った教師が調べたところ、「そのレポートがChatGPTで生成されたものだと分かった」というニュースがしばしば報道されました。
今でも時折似たような話を聞きます。
こういうことが起こる原因はいろいろあるでしょうが、一つは「その学生が文章の質を評価できない」というところにあると思います。
これに関して、私は大学時代に聞いた話を印象深く覚えています。
フランスの哲学者パスカルの研究の大家であり、数年前に文化功労者となられた塩川徹也教授の授業を受けたときのこと。
先生は、「日本人は識字率がほぼ100%だと言われているが、文章を論理的に理解し、また論理的に作成できるような人は半分もいない」といった趣旨のことをおっしゃいました。
私ごときが言うのは大変おこがましいことではありますが、私も同じような感触をもっています。
私は普通の公立の中学校に進んで、勉強のできる友達もいればできない友達もいるという環境で育ちましたし、学生のころは中学生や高校生を対象とする塾で講師をしていました。
そうした学校や塾の勉強の中で、何かしら文章を書かなければならないということは頻繁にあります。
国語の要約問題を思い出してもらえば分かりやすいでしょう。
こうした場面で「まったく何も書けない」人が必ずクラスに何人かはいるものですし、何かしら文章が書かれていても、「内容が支離滅裂で何の筋道もない」ということは少なからずあります。
そのように、文章作成能力が培われていない状態でも、ChatGPTに何かしらの指示を与えれば、ChatGPTはその膨大な学習データの中から何かしらのアウトプットをしてくれます。
生成された文章を論理的に評価し、必要な修正を加えることができれば問題ありません。
個人的な意見としては、ChatGPTの文章を自分自身が作成できるレベルの論理構造の文章に修正することができれば、それはもう自分自身の文章と言ってよいと思っています。
ところが、ChatGPTの文章が、自分自身の構成できる論理よりも高いレベルの論理構造をもった文章である場合もあります。
そうした場合、その文章の生成を指示した人は、「よい文章ができた」と喜んでそれをレポート課題として提出するでしょう。
しかし、より高いレベルの文章作成能力をもった教師からすると、「その学生なり生徒なりがそんな文章を書けるはずはない」ということは一目瞭然です。
このように、生成AIで文章を生成する上では、そのアウトプットの質を高める上でも、そのアウトプットの質を評価する上でも、結局は「使う人の文章作成能力がそもそも高くなければいけない」のです。
ChatGPTの文章はいつも60~70点である「はず」
ところで、「ChatGPTがアウトプットする文章の質は命令する人の文章作成能力に依存する」という命題と、「ChatGPTが生成した文章の評価は評価する人の文章作成能力に依存する」という命題を組み合わせると、面白い結論が導かれます。
それは、「一定程度の文章作成能力をもっていれば、どのような人にとってもChatGPTの文章は60〜70点になる」ということです。
(もちろんこの点数は非常に主観的なものなので、人によってはもっと高かったり低かったりするでしょうが。)
どういうことかというと、
・文章作成能力が高ければその分ChatGPTがアウトプットする文章の質も高くなる。
・しかし、文章作成能力が高い人は文章の評価能力も高いので、ChatGPTが生成した高いレベルの文章についても満足はできず「優」「良」「可」「不可」の評価で言えばよくて「良」くらいの評価しか与えられない
ということです。
おそらく、プロンプトエンジニアリングのスキルを高めていけば、「良」の割合が増えていくと思います。
しかし、少なくとも私の能力と経験では、現在のChatGPTが生成する文章に「優」をつけられることはありません。
もしChatGPTの文章が「優」ばかりである、もしくは「自分自身の文章よりもよい」と感じる人がいれば、その人はもしかしたらプロンプトエンジニアリングの天才なのかもしれませんが、そもそもの文章作成能力があまり高くないのかもしれません。
なかなか耳が痛い話かもしれませんが、生成AIを使いこなすことが今後ますます求められていくとしたら、基礎的なスキルとして「文章作成ができる」ということは非常に大きな強みになりますし、反対に、それができなければ苦境に立たされてしまうかもしれません。
ChatGPTを使って文章作成能力を磨く
幸いなことに、ChatGPTは文章作成についての非常に強力な教師でもあります。
たとえば、自分が作成した文章をChatGPTに投げかけて「添削をしてください」と言えば、かなり有益な指摘をしてもらえます。
そうやってChatGPTを教師として文章作成のスキルを磨いていけば、ChatGPTと同じレベルまでは、文章作成スキルを高められると思います。
ChatGPTは文章を生成するときに厳密な意味で論理を組み立てているわけではないので、ときにおかしな論理を構成してしまいます。
その意味では、まだ、人から直接教わるなり、あるいは本などから勉強するということも必要になります。
ただし、ChatGPTなり他の生成AIなりが論理を習得するスピードのほうが、人が論理を習得するスピードよりも速いのではないかという気もしています。
もしそうなれば、ChatGPTがずっと最良の教師であり続けるかもしれません。
文章作成という基礎的で、しかし大変高度なスキルが、ChatGPTによって非常に学びやすい時代になりましたし、それが求められる時代にもなりました。
文章作成が苦手だというかたほど、ChatGPTを使ったスキルアップを図ってみてはいかがでしょうか。