方針を決めよう
ページ2でMVVと数値目標を描き、ページ3でビジネスモデルと損益モデルを設計しました。ここまで来ると、「何を目指すのか」と「どんな事業構造をつくりたいのか」は、かなり明確になってきたはずです。
しかし、ここで次のように迷うかたは多いです。「では、次に何をすればいいのだろう?」「直売を始めるべきか、品目を増やすべきか、SNSを頑張るべきか?」目標とビジネスモデルが見えても、具体的な行動の選びかたが分からなければ、経営はまた場当たり的なものに戻ってしまいます。
そこで定めておきたいのが「方針」です。方針とは、「目標に向かうためにどの方向に進むのか」という大きな選択のことです。このページでは、その方針の考えかたと、方針を整理するためのフレームワークとしてバランストスコアカード(BSC)を紹介します。
解像度を上げていく
MVVや目標やビジネスモデルを描いた後は、それらを「どう実現するか」の解像度を少しずつ上げていく段階に入ります。いきなり詳細な行動計画をつくるのではなく、まず大きな方向を決め、その後に具体的な計画へ落としていく。この順序を守ることが、経営計画全体の整合性を保つうえで重要です。
具体的な手段から考えると目的地にたどりつけない
突然ですが、知らない土地を旅行するときのことを考えてみてください。目的地が決まっていないまま、「高速道路に乗れそうだから車で行こう」「この電車は速そうだから乗ってみよう」と移動手段から決めたら、どうなるでしょうか。
たしかに、何かしら前には進みます。しかし、その前進が本当に目的地に向かっているかどうかは分かりません。途中で便利そうな乗り物を見つけるたびに乗り換えていたら、むしろ遠回りになるかもしれません。時間もお金も使っているのに、肝心の目的地には近づいていない。そんなことが起こりえます。
経営もこれと一緒です。「SNSを始めよう」「新しい品目にとりくんでみよう」「直売所に出してみよう」——こうした具体的な手段のアイディアは、経営者がいつも考えているものでしょう。それは悪いことではありません。問題は、方針が決まる前にそれらへ飛びついてしまうことです。方針がないと、「それは本当に目標に近づくための行動か」「ビジネスモデルと整合しているか」といったことに自信がもてないまま闇雲に進むことになります。
私がこれまで見てきた経営計画の中でも、うまく機能しないものほど、最初に「補助金をとる」「設備を買う」「SNSをやる」といった手段が並んでいました。しかし、なぜそれをやるのか、その先にどんな目標があり、どんな顧客価値とつながっているのかが曖昧だと、単発の思いつきやちょっとした話題で終わってしまいやすいのです。
こう言うと、「でも、動きながら考えたほうが早いのでは」と思うかたもいるでしょう。たしかに、小さく試すことは大事です。ページ3で説明したMVPのように、仮説を試しながら前進する姿勢は重要です。しかし、その試行錯誤も、どういったものは試すのか、どういったものは試さないのかという方針があってこそ意味をもちます。方針がなければ、試行錯誤は単なる右往左往になりやすいです。
このサイトでは、方針を「目標達成のために、どこへ重点的に資源を配分するかという大きな選択」という意味で使います。順序としては、目標から方針が決まり、方針を具体化したものが計画になります。この順序を守ることが、目標達成への近道です。
「目標から一足飛びに計画を立てればよいではないか」と思われるかもしれません。たしかに、その方法がうまくいく人もいます。しかし、手段としての計画が実行しやすい具体的なものであればあるほど、大きな目標との結びつきを意識しにくいものです。
とくに、多くの人がかかわるほど、一人ひとりが目標と具体的な行動の結びつきを意識できるようにすることが難しくなります。そこで、目標と計画の仲をとりもつ方針の出番です。
一つの目標に対しても、そこに近づくための手段はたくさんありえます。たとえば「富士山に登る」という目標を設定したとします。この同じ目標に対して、まず電車に乗るのか、バスに乗るのか、それとも行けるところまで自家用車で行くのかなど、具体的な手段はさまざまあります。ある人は電車に乗ろうと主張し、ある人は五合目まで自家用車で行こうと主張します。こうしたすれ違いが起こる原因もまたさまざまにあるでしょうが、そもそもの原因として、吉田ルートから登るのか、富士宮ルートから登るのかなど、どの道を選ぶのかについての共通認識がないことがあります。
方針とは、富士登山でのルート選択のようなものです。どのルートを選んでも登頂することはできますが、どのルートを選ぶかは決めておかなければ、「登山口集合」と言ってもみんな違う場所に向かってしまうでしょう。
どのルートを選んでも登頂できるので、人によっては決めた後になっても「別のルートのほうがよかった」と言うかもしれません。しかし、たとえ困難の多いルートを選んでしまったとしても、そのルートが通行止めになっていない限りは、引き返して別のルートに進み直すより、そのまま前進するほうが早く目的地に到着できることが多いでしょう。
さらに、方針を決めるとは、「何をやるか」だけでなく、「何を優先しないか」を決めることです。経営資源は無限ではありません。時間も、人手も、お金も限られています。だからこそ、「今年は販路拡大よりも既存顧客への提供価値の改善を優先する」とか、「品目追加よりも今ある主力商品の利益率改善を優先する」といった選択が重要になるのです。
これは「やらないことを決める」ということでもあります。たとえば、魅力的に見える補助金の話があったとしても、それが今年の方針とつながっていなければ、見送る判断がありえます。新しい設備や新品種の情報を聞いて心が動いたとしても、いま優先すべき課題が別にあるなら、後回しにするべきです。方針があると、こうした誘惑に対しても、冷静に判断しやすくなります。
目の前に選択肢が多すぎて、そのたびにゼロから考え直していると、頭も時間も奪われていきます。方針は、その負担を減らすためのものでもあります。「うちの今年の重点はこれだ」と言語化できていれば、新しい選択肢が現れても、それをその基準に照らして判断できます。
おすすめの経営計画書の構成
それでは、方針は経営計画全体の中でどこに位置づくものなのでしょうか。経営計画書を初めてつくるかたには、次のような構成をお勧めしています。
- MVV:なぜ経営するのか。誰にどんな価値を届けたいのか。
- 目標:3年後から5年後に、どのような所得・利益・規模を実現したいのか。
- 分析:現在の経営はどうなっているか。強みや外部環境はどうか。
- 方針:目標を実現するために、どのルートを選ぶのか。
- 計画:その方針で進む中で、いつ何をするのか。
この順序にすると、大きな目的・目標から具体的な行動へと、ロジカルに考えていくことができます。MVVがあるから目標に意味が生まれます。目標があるから目標に対する現在地が分析できます。目標と分析があるから、どの方針が妥当かを考えられます。方針があるから、具体的な計画に一貫性と説得力が生まれます。
逆に言えば、どれか一つが抜けると、計画は弱くなります。MVVがなければ、なぜその目標を追うのかが分かりません。目標がなければ、方針の良し悪しを判断できません。分析がなければ、方針が現実離れしやすくなります。方針がなければ、計画は単なる作業リストになります。
ページ1からページ3までで、すでに私たちはかなりのところまで進んでいます。ページ1で分析の土台をつくり、ページ2でMVVと目標を描き、ページ3でビジネスモデルと損益モデルを設計しました。ページ4で行うのは、その中間をつなぐ「方針」の整理です。ここが入ることで、ページ5以降の個別計画が、単なる思いつきではなく、目標から逆算されたものになっていきます。
ただ、先ほどから、「方針って具体的にどんな形をしているの?」という疑問をおもちかもしれません。方針には万国共通の型があるわけではありません。しかしここでは、方針を目に見える形にするためにバランストスコアカード(BSC)を用いることを勧めます。方針=バランストスコアカードというわけです。
ページ5以降では、顧客開拓、生産性改善、組織開発、バックオフィス改善、財務管理と、領域ごとの計画を立てていきます。それらを個別に考え始める前に、「そもそも今年はどこにもっとも力を入れるのか」「その優先順位はどうなっているのか」を整理しておかないと、すべての計画が横並びになり、実行段階で混乱しやすくなります。バランストスコアカードで方針を整理しておくと、その混乱を防ぎやすくなります。
経営の全体像をつかむためのバランストスコアカード(BSC)
バランストスコアカードというカタカナを聞くと、ややこしいものではないかと身構えてしまうかもしれません。しかし、これはややこしい経営の全体像をシンプルに解きほぐすためのものです。シンプルにするための手段であれば、取り組んでみて損はありません。

バランストスコアカードをごく簡単に言えば、「経営の方針を4つの視点で並べて、つながりを見えるようにするもの」です。
「バランスト」(Balanced=バランスがとれている)という名前は、財務だけでなく、顧客、業務、学習といった非財務の要素を、また、将来の目標と現在の行動の両方を、バランスよく経営を見るところから来ています。経営と言うと、どうしても売上や利益ばかりに目が向きがちです。しかし実際には、利益は結果であって、顧客価値や日々の業務や人の成長が伴わなければ持続しません。BSCは、その当たり前のことを見える形にしてくれる枠組みです。
BSCの準備はとても簡単です。紙に3本横線を引いて上下に4つの段を設けます。その段に上から順に「財務」「顧客」「業務プロセス」「学習と成長」と書くだけです。難しい表計算や専門のソフトが必要なわけではありません。むしろ最初は、紙やホワイトボードのような、全体を一度に眺められる道具のほうが向いています。
BSCのよいところは、経営の全体像を「AのためにBをする」という論理でつなげられることです。財務の目標があり、そのために顧客へ提供する価値を考え、その価値を実現するための業務プロセスを考え、その業務を実行できるようになるための学習や成長を考える。この流れが見えると、日々の小さな行動が、どの目標につながっているのかが分かるようになります。
たとえば、次のような流れです。
- 財務の視点:「3年後に営業利益300万円、平均給与350万円を実現したい」
- 顧客の視点:「そのために、地元の飲食店から“安定して仕入れられる旬の食材”として選ばれたい」
- 業務プロセスの視点:「そのために、収穫計画、規格の安定、定期配送、営業プロセスを整えたい」
- 学習と成長の視点:「そのために、営業のやりかた、原価管理、作業標準化を身につけたい」
このように、財務の視点から順番に考えていきます。
バランストスコアカードの枠組みで方針を考えると、これを学習と成長の視点のほうから順番に見たときに、たとえば「営業を学ぶ」という行動が、単独で浮いているのではなく、「営業を実践する」という業務プロセスにつながり、「飲食店に選ばれる」という顧客価値につながり、「利益を残す」という財務目標につながることが見えてきます。これがBSCの強みです。
方針も計画も目標からの逆算
BSCの核心は、逆算の思考にあります。ページ2で設定した所得や利益の目標を実現するために何が必要か、上から下へたどっていくのです。
たとえば、「3年後に年間の営業利益を300万円増やしたい」という目標があるとします。そこで次に問うべきことは、「そのためには、どんな顧客に、どんな価値を届ける必要があるか」です。ここで「健康志向の家庭に安心感で選ばれたい」のか、「飲食店に安定供給で選ばれたい」のかで、後の方針は大きく変わります。
そして、この段階で「どちらでもいい」とはせず、選択すること、方針を選ぶことが大事です。どちらに重点を置くのかを曖昧にしたままでは、具体的な業務プロセスも、学習と成長の内容もぼやけます。飲食店向けの価値づくりと家庭向けの価値づくりでは、必要な能力も手間のかかるところも違うからです。
さらに、顧客の視点で提供価値を設定したら、その価値を届けるためにどのような業務プロセスが有効かを考えます。健康志向の家庭に安定を届けるなら栽培記録の公開や認証対応やパッケージ改善が有効かもしれません。飲食店への安定供給なら欠品率の低下、規格の安定、配送の精度向上といったことかもしれません。財務目標を掲げても、顧客価値が違えば必要な業務プロセスは異なります。
そして最後に、その業務プロセスを実行するために、自分や組織に何が足りないのかを問います。営業経験が足りないのかもしれません。作業標準が未整備なのかもしれません。原価の把握が甘いのかもしれません。ここまで来て初めて、「今学ぶべきこと」「今整えるべき仕組み」が明確になります。
一つの財務目標に対して顧客価値は複数ありえますし、一つの顧客価値に対して、必要な業務も複数あります。BSCはそうしたたくさんのルートを探索したうえで、「これだ」と納得できるものを選択するために使えるツールです。繰り返すと、そうして選んだルートをここでは「方針」と呼んでいます。
今日学ぶべきことを財務の目標から導く
BSCの4つの視点の中でもとくに新鮮に感じられやすいのが「学習と成長の視点」です。勉強や研修は「いつか役に立つ今後に向けた投資」と思われるかもしれません。しかし、BSCでは違います。学ぶ内容は、目標から逆算して決めるものです。
これまでを振り返ってみてください。何となく面白そうだから参加した研修、安かったから申し込んだ講座、周囲に勧められたから読んでみた本。そうした学びが役立つこともありますが、目標とのつながりが弱いと、学んだわりに経営が変わらない、ということになります。
一方で、「3年後にこの利益を実現したい」「そのためにこの顧客価値を届けたい」「そのためにこの業務をできるようにしたい」という流れで学びを選ぶと、目標達成のための条件を整えやすくなります。たとえば、次のような違いが生まれます。
- 直販を伸ばしたいなら:宣伝一般ではなく、ターゲット顧客が情報収集に使うであろうツール(SNS等)に特化した宣伝方法を学ぶ
- 飲食店向けの安定供給をしたいなら:営業一般ではなく、飲食業界の課題や商習慣や先進事例を中心に学ぶ
- 人件費率を改善したいなら:生産改善一般ではなく、作業標準化や動線改善や権限委譲といったテーマを学ぶ
ここで大事なのは、学習と成長の視点は、単なる座学ではないということです。学習と言っても、本を読むことや研修を受けることだけではありません。設備投資のための情報収集、作業マニュアルの整備、採用基準の作成、会議のやりかたの改善なども含まれます。要するに、「今はまだできないことを、できるようにするための準備」全般が、この視点に入ります。
こうした準備事項には、今すぐにでも取り組めることが多いでしょう。財務や顧客の視点には、中長期的な目標が入りやすいです。一方、業務プロセスや学習と成長の視点には、中長期的な目標の達成のために今から取り組むことについての方針を書くことになります。BSCは、このように、中長期的な目標と短期的な行動を一つの見取り図の中でつなげる役割を果たしてくれます。
4つの視点で方針を設計する
BSCの考え方を理解したら、実際に4つの視点それぞれで方針を設定してみましょう。順序としては、財務→顧客→業務プロセス→学習と成長の順で考えるのがお勧めです。これは、上から下へ「そのために」とつながっているからです。
ここで重要なのは、4つの視点を別々に考えないことです。どこか一つの視点だけが立派でも、他とつながっていなければ意味がありません。逆に、完璧でなくても、4つが論理的につながっていれば、実行可能性の高い方針になります。
財務の視点:世の中にいくらの付加価値を生むか?
財務の視点では、経営がどれだけの付加価値を生み出すかを問います。付加価値というのは、利益に限らず、「その事業があることによって世の中に追加された価値」のことです。
付加価値として何をカウントするかについては人によって多少の違いがあります。利益は付加価値として分かりやすいものですが、他には、たとえば人件費があります。事業主や従業員が生きていくための収入を事業が提供しているのであれば、それは世の中に価値を付加しているわけです。金融機関に支払った利息や、国・地方自治体に支払う税金も、事業によって外部に提供している付加価値です。このように、「自身の事業が世の中にどのように価値を提供しているか」を考えて、その項目を目標とすれば、価値提供としての経営の本質に沿っていると言えるでしょう。
売上も大事な目標です。しかし、売上だけを追うと事業の持続性を損なうことがあります。売上が増えても、そのぶん費用も増えて、利益がほとんど残らないことは珍しくありません。経営の持続性のために重要なのは、利益が残る構造になっているかどうかです。ですから、財務の視点では、売上だけでなく、限界利益、営業利益、所得、平均給与、人件費率といった収益性や持続性に関わる数字を意識する必要があります。
たとえば、「3年後に売上3000万円」という目標と、「3年後に営業利益300万円、平均給与350万円」という目標では、後者のほうがはるかに情報量が多いです。前者では、とにかく量を売ればいいようにも見えます。後者では、利益率や人件費とのバランスも問われます。だから、顧客の選びかたも、商品設計も、業務改善の中身も変わってくるのです。
もちろん、最初から精密でなくて大丈夫です。むしろ最初は、大づかみの数字のほうがよいです。「所得は最低これくらい必要」「利益はこれくらい残したい」「平均給与はこのくらいまで上げたい」といった水準を定めたら、それを実現するための手段を考えていけばよいのです。大事なのは、財務の視点を空欄にしないこと。損益モデルを検討していれば、財務の視点の目標はすでにある程度明確になっていると思います。もし明確でなければ、ページ3の損益モデルにあらためて取り組んでみてください。
また、財務の視点では数字をたくさん並べないことも大切です。指標は多ければよいわけではありません。最初は、所得、利益、平均給与、人件費率、限界利益率など、本当に重要なものを1つか2つ選ぶくらいで十分です。指標が多すぎると、どれを優先すべきかが分からなくなり、かえって判断を鈍らせることがあります。
数字は互いに関連しています。数字がいくつか決まると、おのずと他の数字もある程度の相場が決まってきます。そのため、本当に大事な指標を1つ選んだら、その指標を実現するために他の指標がどのような数字でなければいけないか、と論理的に考えていきます。
たとえば、「平均給与350万円」を最重要の目標として設定したとします。同時に、過去の実績から、売上高に占める給与の割合は35%が目安になると分かったとします。すると、この2つの数字から、1人あたりの売上高の目標は1,000万円と計算できます。ここで、仮に「5人で事業をしている」という条件が加わったら、売上高の目標は5,000万円となります。このように、数字をロジカルに導き出していきます。

顧客の視点:誰にどんな価値を届けるか?
顧客の視点は、ページ3で設計したビジネスモデルと直結しています。財務目標を達成するためには、顧客にどんな価値を提供し、何を理由に選ばれる必要があるのか。これを考えるのが顧客の視点です。
ここでのポイントは、「どのお客さんに、何を理由に選ばれたいか」をセットで書くことです。「飲食店向け」「消費者向け」といった書きかたでは、まだ曖昧です。飲食店の中でも、高級店なのか、地産地消を売りにする店なのか、量を重視する店なのかで、求める価値は違います。消費者の中でも、安さを重視するのか、安心感を重視するのか、贈答需要なのかで、選ばれる理由は変わります。
こう言うと、「うちはいろいろな相手に売りたいので、一つに絞れない」と思うかたもいるでしょう。その気持ちはよく分かります。しかし、相手ごとに買う理由が違うなら、本来は別々に考えたほうがよいです。飲食店に選ばれる理由と、家庭向けに選ばれる理由が同じとは限らないからです。一つの方針=バランストスコアカードの中に複数の顧客像があっても構いませんが、その場合は「この顧客にはこの価値」「あの顧客にはあの価値」と分けて書くことをお勧めします。
たとえば、次のような書きかたです。
- 地元飲食店に、旬の食材を安定して仕入れられる相手として選ばれる
- 子育て世帯に、安心して子どもに食べさせられる農産物として選ばれる
このように書けると、業務プロセスの優先順位が自然と見えてきます。前者なら、欠品しないこと、規格が揃っていること、連絡が早いことが重要になるかもしれません。後者なら、栽培履歴の分かりやすさ、パッケージの親しみやすさ、購入のしやすさが重要になるかもしれません。
逆に言えば、顧客の視点が曖昧だと、業務プロセスも曖昧になります。「品質を上げる」「発信を頑張る」といった言葉だけでは、何をどの程度やるべきかが分かりません。誰に対する品質なのか。どの顧客に向けた発信なのか。顧客の視点を具体的にするほど、下の視点も具体的になります。
顧客の視点を考えるときには、「自分が売りたいもの」ではなく、「相手が選ぶ理由」に立ち返ることが大切です。これはページ3のマーケティングの話とまったく同じです。顧客の視点に書くべきなのは、あなたの自慢ではなく、顧客にとっての意味です。そこを取り違えると、方針全体が自己満足になりやすいです。
業務プロセスの視点:その価値をどのようにつくるか?
顧客に価値を届けるには、実際の仕事の流れを整えなければなりません。どの業務を強化し、どの業務を改善し、どの業務を新たに始めるのか。それを考えるのが業務プロセスの視点です。
業務プロセスは具体的なアクションなので、計画の実質的な中身となるものです。具体的な計画についてはページ5以降で分野ごとに紹介していきます。方針=バランストスコアカードの段階では、個別具体的な業務をすべてリストアップするのではなく、顧客の視点で出てきた提供価値を実現するうえで決定的に重要な業務に絞って大まかに書けばよいです。
農業経営で「業務」と聞くと、多くのかたはまず栽培を思い浮かべると思います。もちろん栽培は農業の中核的な業務です。しかし、顧客価値を実現するのは栽培だけではありません。収穫、調製、包装、出荷、配送、問い合わせ対応、営業、請求、スタッフ指導——こうした一連の流れすべてが、顧客への価値提供を支えています。
たとえば、「飲食店に安定供給で選ばれたい」という顧客方針を掲げたのに、業務プロセスの欄には「収量を上げる」としか書かれていなかったら、不十分です。たしかに収量は大事ですが、それだけでは足りません。欠品を防ぐ作付計画、納品時間を守る仕組み、連絡の早さ、規格を揃える作業標準なども必要です。顧客が感じる価値は、畑の中だけで生まれるわけではないのです。
また、この視点では、全部をよくしようとしないことも大事です。経営の中には改善余地が無数にあります。しかし、全部に同時に手をつけることはできません。だからこそ、「この顧客価値を実現するために、もっとも重要なプロセスは何か」を問い、優先順位を絞る必要があります。
ここでの選びかたには、大きく2通りあります。一つは、すでにある強みをさらに伸ばすやりかたです。もう一つは、顧客価値の実現を妨げている弱点を補うやりかたです。どちらが正しいかは一概には言えません。高品質な栽培がすでに顧客に価値として認知されているなら、それをさらに磨いていくのがよいでしょう。反対に、せっかくよい農産物をつくれているのに伝えかたが弱いなら、販売や発信のプロセスを補うほうが効果的なはずです。
業務プロセスの視点において重視するべきものを考えやすくするために、業務プロセスを大まかに次のように分けてみるとよいです。
- 生産:栽培、収穫、品質安定、歩留まり改善
- 販売:営業、受注、提案、顧客対応
- 物流:包装、出荷、配送、納期管理
- 管理:経理、労務、情報共有、記録
もちろん、経営によって分けかたは変わります。大切なのは、栽培だけに視野を狭めず、「価値提供の流れ全体」を見ることです。とくに、ページ3で直販や量販店や飲食店向けの話をしたように、販路が変わると、強化すべき業務プロセスも大きく変わります。この連動を見落とさないようにしてください。
学習・成長の視点:その価値をつくるために何を学ぶか?
最後が、学習と成長の視点です。ここでは、業務プロセスの目標を達成するために、どんな知識、スキル、仕組み、道具、人材が必要かを整理します。
この視点を「勉強の欄」だと思ってしまうと、少し狭すぎます。もちろん、営業を学ぶ、原価管理を学ぶ、栽培技術を学ぶ、といった学習は入ります。しかし、それだけではありません。作業マニュアルをつくる、評価基準を整える、会議の進めかたを変える、設備の情報収集をする、採用のやりかたを学ぶ、といった仕組みづくりや組織づくりも含まれます。
この視点での本質的な問いは、「今の自分たちにできないことをできるようにするには何が必要か」です。今できることだけを書いていたら、成長は起こりません。少し背伸びをした目標を実現するために、何を準備し、何を身につける必要があるかを考えるのが、この欄です。
たとえば、直販を伸ばしたいとします。そのとき必要なのは、単にSNSの使いかたを学ぶことだけではないかもしれません。商品の見せかた、写真の撮りかた、問い合わせ対応、決済や発送の流れ、在庫管理、顧客名簿の整備など、複数の能力や仕組みが必要になります。さらに、家族やスタッフが関わるなら、役割分担や引き継ぎのルールも必要になるでしょう。
学習と成長の視点も非常に具体的なアクションなので、中身は計画の段階で考えていけばよいです。そこで、方針としての学習と成長の視点では、「顧客に知ってもらうための手段を学ぶ」とか「顧客の信用を獲得するための手段を学ぶ」といった大きな枠組みだけ書いておけばよいです。
もう一つ大事なのは、ここに書く内容の多くは、すぐ成果が見えにくいことです。勉強、訓練、仕組みづくり、採用準備。どれも、今日やったからといって明日売上が上がるわけではありません。しかし、長い目で見れば、こうした取り組みこそが、数年後の財務目標を実現するための基礎となります。目に見える短期的な成果だけを追わず、将来のための土台づくりも方針として明確にしておくことが必要です。
この視点には「人」をどう育てるかという論点も入ります。自分一人で全部やるつもりなのか。家族やスタッフに任せる範囲を広げるのか。そのために、どんな権限移譲や基準づくりが必要なのか。こういったことも、学習と成長の視点における方針として決めておくべきことです。個人の勉強だけではなく、組織として成長する準備まで視野に入れることで、方針はぐっと有意義なものになります。
方針を組織で共有する
4つの視点で方針を設計できたとしても、それが自分の頭の中だけにある間は、まだ経営にほとんど貢献していません。方針は、現場の行動に反映されて初めて意味をもちます。
これは、従業員がいる農業法人だけの話ではありません。家族経営でも同じですし、一人で経営しているかたにも当てはまります。方針を言葉にしていないと、忙しい日常の中で、それを忘れてしまいがちです。
方針書をつくる:MVV、目標、BSC
まずお勧めしたいのは、方針を一枚から数枚の「方針書」にまとめることです。難しく考える必要はありません。最初はA4一枚のバランストスコアカードだけでも十分です。
次のような内容が入っていれば、実用性の高い方針書になります。
- MVV:なぜ経営するのか、誰にどんな価値を届けるのか
- 数値目標:3年後から5年後に実現したい所得・利益・売上・給与など
- BSCの4視点:財務、顧客、業務プロセス、学習と成長のそれぞれの方針
方針書をつくることの利点は、共有のためだけではありません。むしろ最初は、自分自身の思考整理の効果のほうが大きいかもしれません。頭の中ではつながっているつもりでも、書いてみると、「顧客の視点が抽象的すぎる」「学習の内容が業務プロセスにつながっていない」「目標数字に対して方針が弱い」といったズレが見えてきます。
この「書くとズレが見える」という効果は大きいです。考えているだけだと、曖昧さは曖昧なまま残ります。言葉にすると、曖昧さは見えやすくなります。書くことによって他の人に意見を求めることができるようになりますし、書くことによって自分自身も方針を客観的に考えられるようになります。
それに、書くことによって深く考えられます。数学の問題を解くことを考えてみてください。頭の中だけでは解けない難しい問題も、紙に書いて計算しながら、また、考える手順を整理しながら進めれば、答えを導けるものです。頭の中にすべての情報を収めておくことはできないので、書き出して、記憶の容量に余裕をもたせながら考えるのです。
仲間に示すうえでは、どのくらいまで具体的に書くか悩ましいかもしれません。どのくらい具体的に書くかはあなたの経営内容次第でもありますが、まずは、方針書の名前の通り「方針」にとどめて、具体的な行動にまでは踏み込まないほうがよいと思います。
「○月○日○時に○駅を出る電車に乗ります」という具体的な行動は、印象に残りやすいものです。それだけだと、「なぜ?」という疑問を生みます。人は、理由が分からないこと、納得できないことには取り組みにくいものです。
方針の意義は、具体的な行動を示すことではなく、ルートを示すことにあります。「富士山に登頂するために吉田ルートを選ぶ」ということを、組織の全員に理解してもらうことが大事です。それに、こうした方針が共有されていれば、メンバーからその方針を実現するための素晴らしいアイディアが提供されるかもしれません。
「うちは小さいから、そこまで大げさな資料はいらない」と思うかたもいるでしょう。そういう場合こそ、簡単なものでよいので書く価値があります。大きな組織なら、誰かが補足説明してくれるかもしれません。しかし、小さい組織では、経営者の頭の中にしかないことは、誰にも見えないままです。だからこそ、短くてもよいので、明文化することが大切です。
見た目をきれいにつくることよりも、「行動が方針に沿っているかどうか評価するために使えること」を優先してください。たとえば、「顧客の視点」の欄を見て、誰に何を届けるかが明確に書かれているか。「業務プロセス」の欄を見て、今年どこに力を入れるかが分かるか。「学習と成長」の欄を見て、今月何を身につけるべきかが頭に浮かぶか。こうした観点で読み返すと、方針書の質が上がります。
共有し、共有し、また共有する
方針は、一度伝えただけで浸透するものではありません。人は、一度聞いた話をすぐに理解できるわけではありませんし、記憶にとどめておくこともできません。あなたにとっては時間をかけて作成した大切な方針かもしれませんが、残念ながら他人にとっては初めて耳にする得体の知れないものです。だから、方針は繰り返し共有する必要があります。
共有の場は、特別な会議だけとは限りません。朝礼、個別面談、月次の振り返り、作業前の一言、採用面接、家族との話し合い。こうした機会を通じて、「今年は何を大事にするのか」「なぜこの行動を優先するのか」を何度も言葉にすることで、ようやく方針は行動の基準になっていきます。
ここでありがちな落とし穴は、「スローガンだけ共有して満足してしまう」ことです。たとえば「品質重視でいこう」と言っただけでは、人によって解釈が違います。見た目の美しさのことだと思う人もいれば、味のことだと思う人もいるでしょうし、納品精度のことだと捉える人もいるかもしれません。だから、共有するときには、方針の全体像を示すことが大事です。方針をバランストスコアカードとして作成したなら、バランストスコアカードの全体を伝えればよいです。バランストスコアカードは、人に説明するときにも活用しやすいものです。
繰り返し共有することには、もう一つ重要な効果があります。それは、方針と現実のズレを早めに発見できることです。「今月の作業配分は方針に沿っているか」「新しい販路の話は、今年の重点と整合しているか」「この採用候補者は、目指す価値提供に貢献できそうか」——方針が身に沁みついていれば、こうした問いが自然に立つようになります。方針は、判断の質を高め、軌道修正をしやすくするのです。
共有のときには、方針書をただ読むだけで終わらせないことも大事です。「この方針に対して、今月の実行はどうだったか」「現場から見て無理があるところはどこか」「追加で必要な支援は何か」といった対話をセットにすると、方針が生きたものになります。共有とは、発表することだけではなく、すり合わせることでもあるのです。
一人で経営しているかたも例外ではありません。むしろすべてを自分自身でこなさなければならないからこそ、方針を忘れないように、定期的に自分へ共有する習慣をもったほうがよいです。月に一度でもよいので、方針書を見返し、「今の自分の行動は、ここに書いた方針と整合しているか」を問い直してみてください。目の前の忙しさに引っ張られて、本来大事にしたかったことから少しずつずれていくのを防ぎやすくなります。
方針が機能し始めると、意思決定はかなり速くなります。「やるべきかどうか」を毎回ゼロから考えなくてよくなるからです。「この行動は、今年の方針に合っているか」という問いでふるいにかけられるようになります。その積み重ねが、日々の迷いを減らし、結果として経営全体の一貫性を高めます。
このページで紹介した内容をぜひ実践し、目標から日々の行動を導き出すためのロジックを、自分なりに言葉にしてみてください。それができてはじめて、収集した情報を自身の経営に活かせるかどうか、活かせるとしたらどうすれば活かせるか、根拠をもって考えられるようになります。次のページ以降で扱う顧客開拓や生産性改善や組織開発の計画を、自信をもって立てられるようになるはずです。
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